徒然に学び……

学んだことを書いていこうと思うブログ。(主に刑法)

責任能力について(第39条)その1

Ⅰ はじめに

 我が国の刑法では責任主義が取られている。

 これは、「責任なければ、刑罰なし」という格言からもわかるように、「責任が存在しなければ、国家が刑罰を課すことはできない」という意味である。

 責任主義は、近代刑法においては、罪刑法定主義と並ぶ重要な原則である。罪刑法定主義は法条を定めることにより客観的に国民の行動予測を保障し、責任主義は故意過失を求めることで主観的に行動予測を保障している*1

 ここにおいて、様々な議論があるが、それは省略する。

 本記事では我が国の刑法典における責任主義の現れとも言える刑法第39条について述べていくことにする。

 注意)改まって書いてはいますが、ただのまとめですのでご了承ください。

 

Ⅱ 責任能力の意義・判例の判断基準

第39条1項「心神喪失者の行為は、罰しない。」

   2項「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。」

 

 責任能力とは、「責任非難のために要件とされる行為者の能力」*2である。

  責任能力について、刑法では第39条にそれぞれ、「心神喪失者」「心神耗弱者」と区別し、責任阻却事由と責任減少事由として定められている。つまり、責任能力がなければ、刑罰を課せないとするものであり、我が国において犯罪成立要件として機能する。

 

 判例によると、「心神喪失者」とは、「精神障害によって事物の理非善悪を弁識する能力またはこの弁識にしたがって行動する能力を欠如する場合」をいい、「心神耗弱者」とは、「精神障害によってこの弁識能力または制御能力が著しく減退した状態」をいう*3

 これはいわゆる混合的方法の採用を示す。

 混合的方法とは、精神障害という生物学的要素と弁識・制御能力という心理学的要素の両者を併用することである*4

 この「心神喪失者」と「心神耗弱者」に当たるかどうかは、被告人の病歴、犯行態様、行動、犯行以後の病状、動機、犯行時の病状など総合考察するものとされる*5

 そして、この判断に関しては法律判断とされる*6。つまり、裁判所は病理的な鑑定による責任能力判断に従う必要はなく、生物学的要素及び心理学的要素の判断も法律判断として裁判所が決めることができうるとしたのである。

 ただし、実際には鑑定を尊重した判決がほとんどである*7

 

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 とりあえず、今日はここまで続きはまたいつかまとめます。

 それにしても、鑑定を省みることを別にしなくてもいいというのは、中々国家権力っぽくていいですよねえ。(是非ではなくて)

*1:西田典之「刑法総論」[第2版]48頁

*2:山口厚「刑法総論」[第2版]252頁、西田前掲280頁、井田良「講義刑法学・総論」366頁

*3:大判昭和6年12月3日刑集10巻682頁

*4:林美月子「責任能力」『ジュリスト増刊「刑法の争点」』(2007年10月30日)82頁,有斐閣

*5:最判昭和53年3月24日刑集32巻2号408頁参照

*6:最決昭和58年9月13日判時1100号156頁

*7:林前掲 83頁